安全性試験。この言葉がまだ社会に浸透していなかった1972年に、ボゾリサーチセンターは産声をあげました。
創業者の山内久実は、大学で専攻した薬学と、その後に携わった血液等の自動化学分析装置の販促から得た知見を活かし、同装置を用いた検査業務の受託を開始しました。
次第に製薬会社などからラット・マウスによる試験の実施要請を受けるようになり、これに応えるべく静岡県三島市に試験施設を建設、民間では前例の少なかった安全性試験の受託業務を開始します。ボゾリサーチセンター創業のときです。
当時、日本の安全性試験は欧米から大きく遅れていました。世界最高レベルにあったアメリカ食品医薬品局(FDA)の体制や業務内容を見学した山内は、「この分野を天職とし、日本のレベルアップに貢献しよう」との使命感を持ち帰国します。
1975年に静岡県函南町に大型動物の試験施設を建設すると、1980年には、翌年に日本へ導入されることとなっていたGLP(優良試験所規範)に対応する大規模な試験施設を静岡県御殿場市に建設し、会社の基盤を築き上げていったのです。
経済が発展し生活水準が上がると、化学物質や食品添加物などに対する安全性への意識も高まります。また、医薬品や食品、農薬、化学物質などを管轄する各省庁は、それぞれのメーカーなどに対して安全性試験の規制を強化。こうしたことが追い風となり、ボゾには常にキャパシティを超えるほどのオーダーが寄せられました。それらのニーズに応えることこそ社会的使命ととらえ、各研究所の拡張や設備・検査機器の増設・更新などの投資を間断なく実行します。一方、人材育成にも力を入れ、研究者を大学院等の研究機関に派遣し博士号を取得させたり(2022年現在26名)、大学から研究者を招いて指導を受けるといった産学交流を続けました。そして、1989年には、御殿場研究所内にがん原性試験などの長期試験に対応できる施設と、海外に日本未対応の吸入毒性試験などを特化して手がける研究所を設立する大型の投資を敢行、業容を拡大し、順調に成長を続けていきました。
安全性への社会的要請がますます高まる中、ボゾは飛躍期を迎えます。当局によるガイドライン強化への対応を進め、その後も御殿場に当時最大となる第3研究棟(2003年)を建設するなどハイスペックな試験設備を整備したボゾは、たちまち非臨床における国内トップレベルの試験実績を挙げるようになりました。そして2009年、つくばに敷地面積約48,400㎡・施設面積約20,800㎡を誇る大規模なつくば研究所を開設します。さらに海外の大手医薬品メーカーで実績のあった創薬研究者の採用に成功し、創薬支援分野への進出を果たしました。これにより、創薬研究段階から安全性試験まで一貫して受託できる体制を確立。特に、抗がん薬や代謝性疾患治療薬といった成長分野を得意としており、さらなる成長の基盤を構築することができました。また、つくば研究所には医薬品や化粧品の安全性を調べる特殊な経皮毒性試験設備を導入。日本で手がける事業者は極めて少なく、リーディングカンパニーとしての使命を果たすべく対応分野を広げたのです。
現在、新分野として取り組んでいるものに、魚毒試験やiPS細胞の分野があります。魚毒試験とは、河川に一定量の排水を流す事業者に対する排水質の試験を指し、日本にも近くガイドラインが制定される運びとなっています。またiPS細胞に関しては、研究プロジェクトに参加し、がん細胞化などのリスクに対応する安全性試験を担っています。さらに今後は、診断薬の開発など創薬分野にもアプローチしていきます。こうした新規分野へのアプローチや既存分野のレベルアップのためにも、日本のCROとして稀有な国際ネットワークの強化と、大学、研究機関、製薬会社をはじめとする多くのお客様との人材交流を積極的に行い、常に最先端の技術を探求し続けます。
ボゾリサーチセンターはこれからも、リーディングカンパニーとして社会のニーズに応え続けるために、決して歩みを止めることはありません。